誰も悪くはないのに、結果を見るととんでもないことになっていた。
こんな経験ありませんか?
確かに複数の人が、いくつかの早い段階で問題に気づいていれば事態はもう少し防げたかもしれないけれど、でもそれだけが原因じゃないでしょう、というようなこと。
特に仕事の場面では「誰も悪くはないけど、結果は大損失でしたね」とケロッということもできずに、どこの部門の誰それが悪いとか、いやこっちがむしろ被害者だ!などと紛糾してしまいます。誰かが責任をかぶって、事態がやっと収拾するなんていうこともあるのでは。
こんにちは。産業医・伝え方コーチの本間季里です。世代の違い・価値観の違い、利害の対立など、葛藤や緊張を伴う難しい関係性のなかで、それでも妥協点を見つけて協調していくための伝え方をご提案します。「頭でわかった」ではなく、実際にやれるまでしっかり寄り添います。
●なにか事件が起きると、誰それが悪い!と特定の人たたきが起こる。
●組織の中でなにか失敗が起きると、犯人探しが始まる。
●何かがうまく行かないと、手っ取り早く原因をあげたくなる。
こんなことが多いと思いませんか?
ほんとうに「この人が悪い」ということもたくさんあるとは思うのですが、世の中で起きることの多くはもっと複雑です。
だいぶ前から、「どうしてこんなに安易に答えに飛びついてしまうのだろう。そして、答えを見つけたと思ったらそれで安心してしまうのだろう」と感じていました。それが良いことならばバズった!ということになるのでしょうが、意外な攻撃にさらされることも・・・良いことだったとしても、突然時の人になり、持ち上げられるのは恐ろしいものです。
人の能力には、ポジティブ・ケイパビリティとネガティブ・ケイパビリティがあります。
ポジティブ・ケイパビリティとは、すぐに答えがわかり、問題解決ができるチカラ。わたしたちは小さな頃からこの力を養い、この力が優れていると褒められてきました。一方で、ネガティブ・ケイパビリティとは、性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、曖昧の中にいることができる能力だそうです。
この両方をバランスよく持っていることこそが本当に求められる能力なのでしょう。
ネガティブ・ケイパビリティとは「理由は何でしょう?」と聞かれて、「現時点ではわかりません」と言えること。相手が血相を変えていると、ついつい「マンパワー不足です」などと、それらしいことを言って、その場をやり過ごそうとしてしまいます。これは、ネガティブ・ケイパビリティが弱い例でしょう。そうすると、「マンパワーを改善すれば事態が良い方向に行くんだな?」と、ネガティブ・ケイパビリティの弱い人が、その答えに飛びついて人を投入する。すると、「人を投入したのに、なぜ改善しないんだ!?」という議論が続くことになる。その結果、どんどん本質的な解決からは遠のいていき、皆が疲弊し、最後は人海戦術で乗り越える。
そして、これを「最後は一体感で乗り切ったよな!」などと美化して終わらせてしまうのも、ネガティブ・ケイパビリティが弱い一つかもしれません。
すぐに答えを見つけられるチカラと、安易に答えに飛びつかずに曖昧に耐えられるチカラ。
まずは、身の回りの小さなことから安易に答えを決めて安心せず、「わからない」としばらく抱えてみることから始めてみませんか?