こんにちは。産業医・伝え方コーチの本間季里です。世代の違い・価値観の違い、利害の対立など、葛藤や緊張を伴う難しい関係性のなかで、それでも妥協点を見つけて協調していくための伝え方をご提案します。「頭でわかった」ではなく、実際にやれるまでしっかり寄り添います。
良くない習慣を変えたいと頭では本当に真剣に思っているのに、その習慣が止められないということはありませんか?
アメリカの心理学者であるロバート・キーガン氏によれば、その良くない習慣にも、裏には報酬があるから止められないのだということです。
こう言うと、ほとんどの人が「え?よくない習慣に報酬??まさか・・」と言いますが・・・
例えば、自分はいつも人の言いなりで主体性がないと感じている人が、「主体性を持とう」と努力します。いろいろな本に書いてあることを実行しますがなかなか続きません。
誰が考えても「主体的である」ことは良いことに違いないのですが、その裏の報酬とは?
主体性を放棄してしまえば、それはそれでメリットがあるというのです。この例で言えば、「自分であれこれ考えないで済む」「責任を負わなくていい」「波風を立てずに済む」など、ぱぱっと考えただけでもすぐに3つくらいでてきます。
「いや、こういうのダメでしょ」と一笑に付してしまいがちですが、実は堂々と口に出せなくても、こういうことが人の行動を案外決定しているということらしいのです。
このことを知って、子どものころの私のある行動を思い出しました。あなたは小学生の頃、テスト前に試験範囲の勉強をしていましたか?
私はこどもの頃、試験前に勉強をしないでテストを受けるこどもでした。
準備をしていても「全然、準備していないのぉ!」というのはよくある話だと思うのですが、私の場合はそうではなく、気になってもあえて準備をしない、ということです。
この手の話をすると「それはもちろんあなたは試験前に勉強なんかしなくたって大丈夫だったからでしょう?」と言われてしまいそう。まあ、そう言わずに最後までお付き合いください。
もちろん、再試験になることは滅多になかったし、そこそこの結果は得ていたのですが、私には事前に準備をしない、もっと明確な理由があったのです。もちろんその理由を理解し、言語化できたのはおとなになったあと、随分と経ってからではあります。
その理由は簡単で、「準備をしないことで、良い成績を取れたときも、思ったような結果が得られないときも、自分にとってメリットがあったから」ということです。詳しく言うとこんな感じです。
1)テスト前に準備をしないで良い点が取れたら、「自分は、事前準備などしなくても良い点が取れるんだ!」と思える。
2)テスト前に準備をしないで良い点が取れなかったら、「事前に準備をしなかったんだから、そのせいだ。準備をすれば大丈夫に違いない」と思う。実際、準備をすれば大丈夫なのかどうかなどわからないことなのですが、少なくとも自分ではそう思うことができる。「準備をすればできる自分」という空想の中で生きることができる。
すなわち、どちらの結果に転んでも、私は自分の現実と向き合わずに済むという報酬があったのです。
つまり、私の根源的な問題は、「自分と向き合うことを恐れる」「できれば自分と向き合うことなく生きていきたい」「自分を自分の都合の良いように勘違いして生きていきたい」ということ。その奥には「真実を知りたくない」「真実を知ることが怖い」という恐れがあるのです。
私は自分の現実を直視するのが怖くて逃げ回っていたな。あれは現実逃避の行動だったんだな。結果がどっちに転んでも、自分にとってはメリットがあったんだな。そんなふうにしみじみと振り返ることができました。
では今は?程々に現実逃避し、それでも時にはみっともない自分と向き合う勇気もあり、そこそこ良い塩梅になったかなと思います。これも年の功?