相手の持つ力を信じるということ:母の闘病に想う

2年半前、母は膵臓がんで亡くなりました。87歳でした。その年のバレンタインデーの日に膵臓がんであることがわかり、10ヶ月の闘病ののち、自宅で静かに亡くなりました。見つかったときには肝臓にもたくさん転移していて、残された時間がそう多くはないことを私はすぐにわかりました。

私は、母に対して、子供の頃からずっと激しい葛藤を抱えており、その葛藤をどう乗り越えていくかが私の人生の大きな課題でした。ですから、診断されてから亡くなるまで、ずっと母の近くで母に寄り添って、ともに時間を過ごすことができたことで、私の人生の大きな重荷をやっと下ろすことができたような気がして、そのことに悔いはないのですが、一つだけ心に引っかかっていたことがありました。

膵臓がんであることは告知したのですが、肝臓にたくさん転移していて、残された時間は限られているということはどうしても伝えられませんでした。私の記憶の中の母は、想定外のことが起きると感情的になり、自分の気が済むまで周囲を振り回すような人でした。病気に対しても恐怖心が強くて、「がんを否定しないといけない」と担当医が言ったのを「がんだと思う、と言った」と曲解して、データ一式を持って当時私が働いていた病院まで夜中に駆け込んできたこともありました。

そういう記憶が強烈に残っていたので、残された時間は少ないということを伝えたら、母がどんな反応をするか私自身が恐れ、そしてそれを支えていく自信がなかったのでした。

私の予想に反して、母は感情的になることもあまりありませんでしたが、亡くなる一ヶ月ほど前に一度だけ、涙を流しながら「駄目なら駄目とはっきり言ってほしかった」と言いました。そして、一ヶ月ほどして静かに亡くなったのです。

私は、「自分の残された時間をどのように使い、生ききるのか」という権利を母から奪ったのだなとずっと心に引っかかっています。残された時間が少ないと知っていたら、母はどんなふうに時間を過ごしたかったのだろうか、私達に何を伝えていきたかったのだろうか、そんな事を考えます。

私が母とのいろいろな葛藤を自分なりに受け入れ咀嚼して乗り越えるための努力をした結果、昔の私とは違うように、晩年の母は私の記憶の中に強烈に残っている母とは違っていたはず。けれども私は、私の記憶の中にある「昔の母の反応パターン」というデータをもとに、今回も感情的になるかもしれない、それを支えていくことはできないと恐れたのです。「今の母なら受け取り方も異なり、昔とは別の行動を取るかもしれない」という、相手が持つ「変化の力」を信じることができなかったのだなと振り返っています。

人の人生は、その人自身が決めていくこと。それがどんな結論であっても、どんなプロセスを経ることであっても、それらを含めてその人の人生であるはずで、本来何人といえどもそこに踏み込むことはできないはず。当時の私にはその覚悟が足りなかった。そういう後悔なのかもしれません。

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この記事を書いた人

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本間 季里

産業医、伝え方コーチ、ストレングス・コーチ

大学卒業後、小児科医・免疫学の基礎研究者を経て、2017年より、世代の違い・価値観の違い、利害の対立など、葛藤や緊張を伴う難しい関係性のなかで、それでも妥協点を見つけて協調していくための伝え方を提案し、個人と組織の両方にアプローチできる産業医・伝え方コーチとして活動中。

セッション数は7年間でのべ3000回以上、これまで300名を超える方々に伝え方の講座や研修を提供し、満足度が90%以上です。

資格:医師・医学博士・日本医師会認定産業医
NPO法人アサーティブジャパン会員トレーナー

Gallup認定ストレングス・コーチ

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