壱岐に旅行してきました。
壱岐は九州・福岡と対馬の間にある小さな島です。その名も「壱岐」という焼酎がある通り、焼酎の生産が盛んですし海産物も豊かですが、実はそれだけではありませんでした。
こんにちは。産業医・伝え方コーチの本間季里です。世代の違い・価値観の違い、利害の対立など、葛藤や緊張を伴う難しい関係性のなかで、それでも妥協点を見つけて協調していくための伝え方をご提案します。「頭でわかった」ではなく、実際にやれるまでしっかり寄り添います。
壱岐は、弥生時代・古墳時代、大和朝廷の時代の中国大陸、朝鮮半島と対峙する日本の防衛の要所、貿易の要でした。
なんと、壱岐は日本史の時間でおなじみの「魏志倭人伝」に出てきます。そのボリュームも、伊都(今の福岡県の糸島周辺)・対馬についで多いのですから、当時の中国にとって大きな存在だったのでしょう。魏志倭人伝に出てくる倭国(日本)30国のなかで、唯一、国の一と都の場所が明確にわかっている場所だそうです。素晴らしい歴史的価値ですよね。その都が原の辻(はるのつじ)遺跡というところ。
この原の辻遺跡って、海に面していないんです。もちろん海に近いのですが、ちょっと海から奥まったところにあります。船着き場を少し内陸に作って荷の積み下ろしをしたんですね。当時としては珍しかったのではないでしょうか。なにせ、すごく手間隙かかりますものね。
発掘調査は大正時代から行われていたようですが、大規模に調査が行われたのは比較的新しく、平成に入ってから。1995年に一支国の都である可能性が指摘されました。
このように、大陸に対しての貿易、防衛の要所なのですから、当然力のある人を配属したに違いありません。壱岐にはあちこちに古墳もあります。内陸部にある古墳の数々に名前がついて、内部の様子も調査されていました。壱岐風土記の丘というところでざっと知ることができます。
これだけしっかりと調査されているのですから、その調査結果を知ることができるのが一支国博物館。これがまた素晴らしかったです。原の辻遺跡を一望できる高台に博物館が作られています。
当時、貿易した品々を載せた船が再現されて、その大きさのまま展示されていますが、それをみると、こんな小さな船でよく中国大陸や朝鮮半島と壱岐を行き来したものだとびっくりします。様々な出土品も展示されており、当時の生活をうかがい知ることもできます。わかりやすく当時の生活を教えるジオラマもすごく良くできていました。
また、順路の最後には、原の辻遺跡が一支国の都ならば出土するはずだけれどまた見つかっていないものという説明パネルがあり、仮説を立てながら調査が進んでいることも知ることができました。
長崎県内の遺跡から出土した品々を収納するガラス張りのオープン収納庫も作られており、こちらも展示されているようです。今回は飛行機の時間が迫っていたので、このオープン収納庫はみることができませんでしたが、一括保存・収納しつつ展示の役割も果たすというこちらも一見の価値があると思いました。