「あのときの選択はあれで良かったんだろうか?」
「あのとき、別の選択をしていたらもっといい人生だったんじゃないだろうか?」
私の知人に、これが口癖の人がいます。
こんにちは。産業医・伝え方コーチの本間季里です。 世代の違い・価値観の違い、利害の対立など、葛藤や緊張を伴う難しい関係性のなかでも協調していくための伝え方をご提案します。 「頭でわかった」ではなく、実際にやれることを目指します。
これが始まると思わず苦笑いですが、私は「良くなかったってことになったら、そこまで戻って別の選択をやり直せるの?」と聞きます。
もちろん彼女の答えは「そりゃ、戻れないですよ。だからこそ、取り返しのつかないことをしたんじゃないかって気になるんじゃない!」
自分の選択を後で良いことだったと思えるように生きる
どうしても考えてしまう、という人に「考えるな」と言っても難しいですよね。それは仕方がないとして、私は「自分のその時の選択を、後で良いことだったと思えるように生きる」ことが大切だと考えています。
「いちごのショートケーキとレアチーズケーキ、どっちにしよう」と迷ったとします。人が素晴らしいなと思うのは、たとえどちらを選択しようとも「こっちを選択してよかったな」と思える能力を持っているということです。
例えばいちごのショートケーキを選んだら「おいしい苺の季節だし、こっちを選んで正解だったな」、レアチーズケーキを選んだら「この濃厚でなめらかな味わい。チーズケーキを選んで良かったな」
もちろん、後で失敗だったとわかる場合もあります。その時には「これからは別の方法にしよう」と、未来に向けて考えれば良いわけです。というより、それ以外に人間がやれることってありますか?
昔、女子中高生向けのリケジョ(理系女子)講座にリケジョとして参加したことがあります。理系に進学する女性を後押ししようという企画でした。パネルディスカッションで他のリケジョの方々とフロアからの質問に答えていましたが、参加した女子中高生からの質問でこんなものがありました。
「今お話を聞くとすごく楽しそうなんですけれど、後悔することはないんですか?」
ある登壇者の答えに大きく頷きました。
「この仕事を選んだことには満足しています。だから楽しそうに見えているというのは嬉しいです。でも、例えば全く別の仕事、例えばデパートで売り場に立って商品を売る仕事についたとしても、私はそこで楽しみを見つけてやっぱり楽しそうに仕事をしているんじゃないかと思います。自分にとって良い選択をしたから楽しいんじゃなくて、どんな選択をしても楽しいことを見つけて生きていく。それが私の強みかな」
命まで取られるわけじゃなし
冒頭の彼女のように「あのときの選択はあれで良かったんだろうか?」「あのとき、別の選択をしていたらもっといい人生だったんじゃないだろうか?」と考えるのもあなたの人生。上記の登壇者の言葉にあるように、今眼の前のことに良い点を見つけて「良かったな」と考えるのも同じあなたの人生です。
変えられない過去の選択を悔やんでも同じように時間は過ぎていきます。あなたの中の、「どちらの選択をしても、こっちを選んで良かった!」と思える柔軟さ、適応性を信じてみてはどうでしょう。
「どっちを選んだとしても、命まで取られるわけじゃなし」とエイッとどちらかを選ぶんだよ、と言っていた人もいました。
人それぞれ、エイッと決断するときの自分なりの考え方や基準はあります。でも、共通しているのは、決してらくらく決断しているわけじゃないということ。
あなたの考え方次第
悩み、迷い、そしてリスクを取って決断する。そしてその結果を引き受ける。その繰り返しで自分の決断に対して信頼ができるようになる。
その決断を人に委ねているとどんどん自分での決断が怖くなり、ハードルが高くなる。間違ったなと思ったら軌道修正をすれば良い。間違った自分を責めるのはたいてい「自分の中のもうひとりの自分」だったりします。
よくよく考えると、全部自分の頭の中で起きていることだった・・・ということもよくあること。小さなリスクを取って決断してみませんか?私達には自分のその時の選択を、後で良いことだったと思えるように生きるちからが備わっているのだから。