「自分で調べろ」はなぜ組織を腐らせるのか?産業医が見た、職場を救う「向き合うひと手間」の経済学

こんにちは、産業医の本間季里です。

産業医として多くの企業の現場に足を運び、働く人のメンタルヘルスや職場環境のご相談を受けていると、業種や職種を問わず、驚くほど共通して耳にする「悩み」があります。
それは、人間関係のトラブルや過重労働といった大きなテーマ以前の、もっと日常的で、だからこそ深刻なコミュニケーションの不全です。

その代表例が、「仕事でわからないことがあって職場の人に聞くのだけれど、まともに答えてくれない」というもの。
「そんなこと、自分で調べなさいよ」
「マニュアルに書いてあるでしょ」
「いちいち聞かないと動けないの?」

そんな冷たい言葉や、言葉には出さずとも「迷惑だ」という空気を露骨に出されてしまい、身動きが取れなくなってしまう。これ、実は新入社員だけの悩みではありません。むしろ、キャリアを積んだ中途入社の方や、部署異動でやってきたベテラン社員の方のほうが、この問題で深く傷つき、適応障害などの不調をきたすケースが少なくないのです。

今日は、この「質問できない職場」がいかにして個人のメンタルを蝕み、そして組織全体の生産性を下げているかについて、少し掘り下げてお話ししたいと思います。

「わからないことがわからない」のパラドックス

よく、質問をした際に先輩や上司からこう返されることがあります。
「どこまでがわかっていて、どこがわからないのか、明確にしてから質問に来い」
「まずは自分で調べてから聞きに来い」

確かに、一理あります。「ググれば(検索すれば)」わかるような単語の意味や、社内ポータルを見れば一発でわかる申請フローを、何も考えずに隣の人に聞くのは、相手の時間を奪う行為かもしれません。

しかし、私が相談室で出会う多くのケースでは、相談者さんは決して「サボっている」わけでも「依存している」わけでもないのです。このご時世、皆さんそれなりにネットリテラシーもお持ちですし、自分なりに必死に調べています。

それでもわからないから、勇気を出して質問しているのです。

ここで、教える側が見落としがちな重要な視点があります。それは、「どこがわからないのかを明確に言語化できる」というのは、その業務の全体像を相当深く理解していなければ不可能だということです。

全体像が見えているからこそ、「AとBのプロセスは理解しましたが、その間の接続部分であるCの処理が、今回のケースでは例外にあたるのかどうかがわかりません」といった高度な質問ができます。

しかし、新しい環境に入ったばかりの人は、そもそも「何がわからないのか」の輪郭さえ掴めていないことがほとんどです。その職場の文脈(コンテキスト)、暗黙のルール、過去の経緯、システム特有の癖……これらは、外部の検索エンジンには絶対に載っていません。

必死に調べて、それでも迷路から抜け出せない。そこで「サクッと」答えをもらえれば、一瞬で視界が開けて業務を進められる。それなのに、「自分で調べろ」と突き放されてしまう。

これは、迷子になって地図も見当たらない人に、「今の緯度と経度を正確に伝えないと道は教えない」と言っているようなものです。これでは、双方にとって膨大な時間とエネルギーの無駄遣いではないでしょうか。

「ベテランなんだからわかるでしょ?」という残酷なプレッシャー

この問題が特に深刻化しやすいのが、中途採用者やベテラン社員が異動してきたケースです。

新入社員であれば、周囲も「まだ何も知らない赤ちゃんだから」という前提で接してくれます。「右も左もわからなくて当然」という免罪符があるのです。しかし、社会人経験がある人に対しては、周囲の期待値(ハードル)が勝手に上がってしまいます。

「前の会社でマネージャーをしてたんでしょ? これくらいわかるよね」
「同じ営業職なんだから、やり方は一緒でしょ」

そんな無言の、あるいは有言の圧力がかかります。

しかし、会社が違えば文化も違います。システムも違えば、決裁のルートも、「当たり前」とされるスピード感も違います。即戦力として期待されて入社した人ほど、「こんなことを聞いたら評価が下がるのではないか」「できない奴だと思われるのではないか」という不安と戦っています。

そんな心理状態で、勇気を出して質問した際に、「今まで何やってきたの?」「それくらい自分で考えてよ」と冷たくあしらわれたらどうなるでしょうか。
相手が低姿勢であればあるほど、受け入れる側の「イラッ」とする気持ちに火がつきやすいという、悲しい心理的メカニズムも働きます。

教える側としては、「自分だって忙しいのに」「なんでこんな初歩的なことで時間を取らせるんだ」と感じるかもしれません。その気持ち自体は否定しません。人間だもの、忙しければ余裕もなくなります。

でも、あえて言わせてください。
その対応、本当にあなたの仕事を楽にしていますか?

「不貞腐れ」ではなく「あきらめ」と「自責」の混合物

冷たい対応をされた側がどうなるか。私の相談室で語られる言葉は、決して「怒り」だけではありません。

「戦力になって役に立ちたいと思って入社したのに、何も貢献できない」
「自分はこの仕事に向いていないのかもしれない」
そんな、深い自責の念です。

最初は誰でも、「早く仕事を覚えて役に立ちたい」「チームに貢献したい」という前向きな意欲を持っています。しかし、質問するたびに拒絶され、ため息をつかれ、放置される状況が続くと、その意欲は急速にしぼんでいきます。

外から見ると、だんだん口数が減り、表情が暗くなり、あるいは反抗的な態度に見えるかもしれません。「あいつ、なんか不貞腐れてるな」と。

でも、それは単なる不貞腐れとは少し違います。「どうせ聞いても教えてもらえない」という学習性無力感と、「自分は必要とされていない」という孤独感、そして「質問しただけで嫌な顔をされた」という理不尽さへの怒り。これらが複雑に絡み合った、非常に重苦しい感情なのです。

「何だよ、いろいろ質問しているのに放って置かれて」
「結局、誰も助けてくれないんだ」
こうして、心の中に分厚い壁が築かれます。

一旦こうなってしまうと、職場の空気は目に見えて悪くなります。

職場の蔓延するリスク

この状況の恐ろしいところは、当事者同士だけの問題で終わらないことです。

周囲の人間は、そのやり取りを実によく見ています。

新人が質問に行って冷たくあしらわれているのを見た若手社員は、「ああ、この先輩に質問すると自分もああいう目に遭うのか」と学習します。

するとどうなるか。
誰も質問しなくなります。
わからないことを隠したまま仕事を進め、後で取り返しのつかないミスが発生する。あるいは、全員が疑心暗鬼になり、必要な情報共有さえ滞るようになる。

これを心理学の用語で「心理的安全性(Psychological Safety)の欠如」と言います。

「無知だと思われる不安」「邪魔だと思われる不安」から、発言や質問を控えてしまう状態です。Googleの研究でも明らかになっていますが、心理的安全性がないチームは、どれだけ優秀な個人が集まっていても、パフォーマンスは著しく低下します。

たった一人の「冷たい対応」が、チーム全体の心理的安全性を破壊し、組織全体のパフォーマンスを下げてしまうのです。

「少しの投資」が「5時間の徒労感ある残業」を消す

では、どうすればよいのでしょうか。
答えはシンプルですが、実行するには少しのマインドセットの転換が必要です。

「質問にはきちんと向き合い、真っ当に答える」

これに尽きます。
これが、後々の非生産的なトラブルを回避し、あなた自身の仕事を楽にする一番の近道なのです。

もちろん、あなたは忙しい。自分のタスクで手一杯かもしれません。質問に答えるために手を止める時間は、一時的な「ロス」に見えるでしょう。

しかし、これを「コスト(損失)」ではなく「投資」と考えてみてください。

今、手を止めて5分間、丁寧に教える。あるいは、「今は手が離せないから、15時になったら10分時間を作るね」と誠実に対応する。
そうすることで、相手には何が生まれるでしょうか。

  1. 業務遂行能力(スキル): 正しいやり方を理解し、次からは一人でできるようになります。
  2. 安心感(心理的安全性): 「いつ質問しても大丈夫だ」「この人は味方だ」という信頼が生まれます。
  3. 貢献意欲(モチベーション): 「早く仕事を覚えて恩返ししたい」というポジティブな感情が維持されます。

これらが積み重なると、相手は「にっちもさっちもいかないどん詰まり」になる前に、適切なタイミングで報告・連絡・相談ができるようになります。
結果として、あとからミスをリカバリーするためにあなたが何時間も残業したり、尻拭いに奔走したりする必要がなくなります。

そして何より、相手が早く一人前の戦力に育ってくれれば、あなたの業務を分担できるようになります。

「情けは人のためならず」という言葉がありますが、職場における親切な対応は、巡り巡って「あなた自身の省エネな働き方」を実現するためにあるのです。

「自分は爽やかだ」という勘違いから抜け出す

時々、「自分は厳しく指導しているだけだ」「甘やかすのは本人のためにならない」と言いながら、実は単に自分の機嫌で当たっているだけの人を見かけます。

そして、「自分は言いたいことを言ってスッキリしている(爽やかだ)」と勘違いしているケースもあります。
厳しいことを言いますが、相手を萎縮させ、成長を止めている時点で、それは指導ではなく「阻害」です。

実際には、あなた自身もイライラし続けているはずです。
「なんであいつはいつまでも使えないんだ」
「なんで俺ばっかり忙しいんだ」

そのイライラの原因の一部は、実は「過去にあなたが質問を拒絶したこと」が種を蒔いているのかもしれません。

新しく参入してきた人がいつまでも戦力にならないのは、本人の資質の問題だけではなく、受け入れ側の「育てる土壌」が枯れていることが原因であるケースが本当に多いのです。

産業医からの提案:ちょっと先を見て、今の手間を惜しまない

私が産業医として提案したいのは、たった一つの習慣の変化です。

「ちょっと先まで考えて、今の手間暇を惜しまない」
質問されたら、一度手を止めて、相手の顔を見てください。
そして、その質問の意図を汲み取り、必要な情報を渡してください。

もし今どうしても時間がなければ、いつなら良いのかかを伝えてください。

それだけで、相手の心にある「不貞腐れ」や「自責」の芽は摘み取られ、代わりに「信頼」と「やる気」が芽生えます。

これまで、人間関係がぎくしゃくして崩壊していく職場も、逆に、互いに助け合って驚くほど成果を出す職場もたくさん見てきました。

その違いは、能力の差ではありません。
「わからないことを、安心して聞ける空気があるかどうか」
ただそれだけの違いであることが多いのです。

あなたの職場はいかがですか?

今日、誰かから質問されたら、それは「未来の自分の楽」を作るチャンスだと思って、少しだけていねいに答えてみませんか?

その小さな積み重ねが、あなた自身が気持ちよく、健康に働くための最強の予防医学になるはずです。

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この記事を書いた人

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本間 季里

少人数の会社でも産業医が必要な理由
産業医・伝え方コーチ:本間季里

「社員一人ひとりが健康的に働き、会社が成長していける職場を目指したい」という理念のもと、心身の健康を支える産業医です。

少人数の職場では、産業医のサポートによる健康管理や職場環境の改善が会社の成長に直結します。そこで、従業員50人未満の会社の産業医業務に特に力を入れています。

私の産業医としての強みは、傾聴、質問、わかりやすいアドバイス、的確な判断の4つのアプローチを組み合わせ、経営者と社員の支援を行っています。10年以上の経験を持ち、日立製作所、長崎大学など、幅広い業種で産業医を務めてきました。

企業規模に関わらず、経営者が経営に専念でき、社員が心身ともに健康で働ける職場の実現を目指します。

資格:日本医師会認定産業医・医学博士
アサーティブジャパン会員トレーナー
コーチングプラットフォーム認定コーチ
Gallup社認定ストレングス・コーチ

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