「私はどこでも馴染めないんだなあ」
クライアントの小松さん(仮名)は、会社の研修会に出席しました。女性リーダー育成に関する研修で、小松さんもこれからのリーダー候補の一人に選ばれての参加でした。その場には本部長も同席していて、一通り初日の研修が終わったあと、一人ひとりにコメントをしていきました。これから期待すること、などです。
ところが、小松さんのところだけ、そのコメントがありませんでした。
本部長と小松さんは、以前一緒に働いたことがある間柄。「知り合いだから、今さら言わなくても」という気持ちだったのかもしれません。悪気はなかったのでしょう。
でも小松さんは「あれ?」と思った。そして直後のセッションで、こう言ったのです。
「私はどこでも馴染めないんだなあと思いました」
理由を尋ねると、この研修のできごとが出てきました。そして最後に「まあ、いいんですけどね」と付け足しました。
「まあ、良いんですけどね」は本当に良いのか?
本当にどうでもいいことなら、わざわざセッションで話題には出さないですよね。わずかでも心に引っかかりがあるからこそ、口をついて出たのではないでしょうか。
そこで「スキップされてコメントをもらえないなんて、寂しいですね」と、小松さんのかわりに気持ちを代弁してみました。
「そうですね。寂しかったです」
続けて「『こういうことが寂しかった、なんてセッションでわざわざ言うのは、子どもじゃあるまいし』。そんな風に考えたのではありませんか?」と聞くと、大きく首を縦に振って、そのとおりだと。
あなたにも、似たようなことはありませんか?
寂しかった、悔しかった、嫌だった。わざわざぼやくなんて子どもじみている。だから、なかったことにして心に押し込めてしまう。
薄紙を重ねると、厚みが出るように
一つ一つは、本当に小さなこと。でも、薄紙も重ねていけば厚さが出てくるように、小さな感情を押し込め続けると、少しずつ、少しずつ、その負の感情は蓄積されていく。
そしてそれが積み重なると世の中を恨むようになるんですね。
問題は小さいうちにその都度解決したほうが、労力が少なくてすみますよね。感情もまったく同じです。小さいうちに言葉という形で外に出して、小さくその都度ケリをつけていく。
ケリをつける、というと、原因は何で誰が悪いのかシロクロをつけることを想像するかもしれません。でも、ここでいうケリはそういうことではありません。
自分の感情を、言葉に出して受け止める。それだけです。
「こんなことを考える自分は良くない」と自分をジャッジするのではなく、「ああ、こんなことを感じたんだな。そりゃそうだよな」と受け止めること。
小さな負の感情を恨みに育ててしまう前に
不必要に世の中を恨んで、誰かの悪口を言ったり、自分がいかに頑張っているかをアピールするための自分語りをしてしまう前に、小さな自分の気持ちを蔑ろにせず、その都度ケリをつけて前に進みませんか?
今日一日を振り返って、「まあ、いいんですけどね」と飲み込んだ場面は、ありませんでしたか?
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