両親が亡くなったあと、築30年、4LDKの建売住宅の空間という空間には、びっしりと何かしらの古いものが詰めし込まれていました。洗面台と壁の僅かな隙間に、私が子供のころに使っていた、色褪せてひび割れたこたつの天板を見つけたときには、こんなところにまで!と、思わず苦笑いしてしまいました。
私の両親くらいの昭和一桁世代は、もったいないという意識が強くて、ものを捨てられないんですよね、というのは確かにそのとおりです。でもそれだけではないということに、実家を片付けていて気づきました。
こんにちは。産業医・伝え方コーチの本間季里です。世代の違い・価値観の違い、利害の対立など、葛藤や緊張を伴う難しい関係性のなかで、それでも妥協点を見つけて協調していくための伝え方をご提案します。「頭でわかった」ではなく、実際にやれるまでしっかり寄り添います。
日々、産業医としてあるいはコーチとしていろいろな方のお悩みを聴いているなかで気づいたのは、気持ちが落ちて、なかなかあれこれと活動できないでいるときに「片付けくらいやらなくちゃ」「片付けくらいしなければ」という方が多いことです。
私はそういうとき、きっぱりと止めることにしています。
片付けを舐めちゃいけない!片付けるということは、非常に沢山のステップ、判断を必要とされることであり、気持ちが落ち込んでいるときにできることとは思えないからです。最も脳を休めなければならないときに、脳をフル回転させねばならない片付けをするのは、非常に負担になってしまうのです。
高齢者がものを溜め込む理由も同じではないでしょうか?
私たちは親世代にかならずこう聞きます。
「これ、必要?」
答えるためには、過去と未来に思いを巡らせ、今までの使用頻度、今後の使用機会を見積もって、さらにそれを捨ててしまって手元にない場合のリスクも考慮しなければいけません。
これって、すごく脳を使う作業です。それをすべてのものに関して現役世代の私たちが「すぐに答えろ」と眼の前で迫っているのですから、思わず「いつか使うかもしれんから取っといて」ということになります。判断の先送りなのですが、それしかできないということが本当のところかもしれません。
捨てるか捨てないかを決めるだけでも非常に負担なのに、捨てると決めたら決めたで
- ゴミとして捨てるのか?
- ゴミとして捨てるなら、いつ、どんな分別ゴミとして捨てるのか?
- 譲るのか。誰に、どうやって?
- 買い取ってもらうのか、だれに?
まとめて業者に頼むのなら、「ゴミにお金を払うのか?」という考えを克服しなければなりません。克服できたとしても、
- どこの業者に頼むのか、
- 見積もりは何社くらいから取ったら良いのだろうか?
- こんなに見積もりの値段に差があるってどういうこと?
これをすべてのものに対してひとつひとつ自分なりの答えを出して、リスクも背負って決断していくわけですから、かなり元気なときでないとできないことだということはご理解いただけるのではないでしょうか。
こういうことを知っていると、気持ちが落ち込んでいるときに「体を休めているんだから今のうちに片付けくらいやっておこう」という考えは無理があるとわかっていただけると思います。熱があるときに、体調が悪くて寝ているんだから、今のうちに資格の勉強をしておこう、というのがナンセンスなのと同じです。
高齢になってついつい判断の先送りをしてしまい、現役世代が「せっかく片付けを手伝っているのに、全然進まないじゃない!」という苛立ちも少なくなるかと。
だからこそ、片付けアドバイザーなどの仕事が必要になってくるわけです。こういう専門家の力を借りる必要があるくらい、片付けは複雑な判断の連続ということを理解しておきましょう。