こんにちは。産業医の本間季里です。
「最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である。」
公民権運動を率いた、キング牧師の言葉です。
正直に告白すると、私自身、会議で誰かが理不尽に責められているのを黙って見ていたことがあります。「あれはおかしい」と思いながら、口を開けなかった。あとから思い出すたびに、ちくりと胸が痛みます。
反対に、かばってほしかったときに、周りの善良な人たちが一斉に目を伏せた——そんな経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。私たちは誰もが、「沈黙する側」と「沈黙に傷つけられる側」、その両方を生きているのですね。
では、なぜ心優しいはずの善人が、肝心なところで黙ってしまうのでしょう。
なぜ、善良な人ほど沈黙するのか
まずお伝えしたいのは、そこに「悪意」はない、ということです。
「ここで声を上げたら、次は自分が標的にされるかも」。この自己保身は、ごく自然な防衛本能です。
さらに、大勢いると「きっと誰かが助けるだろう」と無意識に責任が分散していきます。これを心理学では「傍観者効果」と呼びます。人が多いほど、かえって誰も動けなくなる心の働きです。
そこへ「どうせ自分ひとりが言っても変わらない」という無力感が重なる。私たちは悪人になりたいわけではなく、ただ傷つきたくなくて、「沈黙」という安全に見える隠れ蓑に逃げ込んでしまうのです。
その沈黙が、被害者から「世界への信頼」を奪う
けれど、この隠れ蓑こそが最大の悲劇を育てます。
周りの多数が黙っていると、加害者はその沈黙を「暗黙の支持」と受け取ります。沈黙は、悪意のブレーキになるどころか、アクセルを踏ませる燃料になってしまうのですね。
そして何より深刻なのは、被害者の心です。人を本当に絶望させるのは、直接の攻撃そのものより、「ここにいる誰もが目をそらしている」という事実のほうなのです。
「自分が不当に扱われても、助けてくれる人なんてどこにもいない」。その孤独は、やがて世界そのものへの冷たい不信に変わっていきます。善人の沈黙は、加害者の悪意以上に、被害者の「世界への信頼」を根こそぎ奪ってしまうのです。
英雄になる必要はありません。小さな声でいいんです
では、どう沈黙を破ればいいのでしょう。
「沈黙を破る」と聞くと、つい巨悪に正面から立ち向かう姿を思い浮かべてしまいませんか。でも、そんな大きな行動ばかり想像すると、ハードルが高すぎて結局なにもできなくなってしまいます。
世界を変えるために、全員がジャンヌ・ダルクになる必要はありません。
職場で誰かが不当に責められたとき、その場で反論するのは難しくても、あとからそっと席へ行って「さっきのは、ちょっとひどかったよね」「私はあなたの味方だからね」とひと言かける。たったそれだけで、その人の絶望を食い止める強い防波堤になります。
差別的な冗談に愛想笑いをするのをやめ、静かに「笑えないな」という顔をする。同調しない、という態度もまた、立派に沈黙を破る一歩なんですね。
声を上げることは、トレーニングです。最初は怖くて当たり前。だからこそ、店員さんを怒鳴る人が去ったあとに「大変でしたね」とねぎらう、そんな低いハードルから始めてみてください。小さな声は、必ず別の誰かの勇気を呼び覚まします。
あなたも、明日のどこかで、ほんの小さなひと声から始めてみませんか。
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